摂食障害でも、みんな普通の男の子や女の子なんだ!
これは、摂食障害の人たちを励ましたり勇気づけるためだけでなく、摂食障害の回復においてもとても重要なマインドのひとつだと思っていることです。
わたし自身も、ずっとどこか「自分は普通じゃない」…
つまり「自分は特別だ」と思っていたんじゃないかなと思います。
このことが、わたしの場合は回復の最後の一歩を妨げていたのでは…と感じています。
浸る時期もあっていい
でも最初にまずお伝えしておきたいのは、摂食障害の回復にもやはり段階のようなものがあるということ。
それぞれに必要な段階を、ひとつずつステップアップしていくのが一番の早道です。
もしも今「自分は普通じゃない」という感覚がフィットしているとしたら、それを否定したりはしないでください。
つらい気持ち、ひとりぼっちな気持ち、怒りや寂しさ、恨み、妬み、などなど…
そういうものに思い切り浸る時期があっていいと、わたしは思います。
そこを経てやっと見えてくることも、大いにあります☆
「悲劇のヒロイン」だっていいんです!
本当にそれほどつらいからこそ摂食障害になってしまっているんですから、それでOK。
むしろ、浸りたいときは思う存分浸った方が、その後はスムーズにステップアップしていけるんじゃないかなと思います。
でもいつかは、その特別感を手放そう
さて、冒頭でもちょっと書きましたが、「自分は普通じゃない」というのは、つまり「自分は特別だ」と思っているということです。
「悲劇のヒロイン」にしっかり浸り切ったら、今度はその「特別感」をぜひ手放してみてください。
(ただし中途半端な浸り具合では上手に次に進めないことがあるので思う存分浸っておくこと!)
「自分はまわりの人よりも◯◯だ」とか「わたしはみんなと違って◯◯だ」という「特別感」のある思い込みは、いろいろな可能性を狭めてしまいます。
実はみんな、特別に劣っていることもないし、特別に優っていることもない、特別にかわいそうな人間でもないし、特別にうらやましがられる人間でもないし、特別に恵まれているわけでも、特別に恵まれていないわけでも、ありません。
上には上がいるし、下には下がいる、残念ながら、それほど抜きん出て「特別」なんてことは、そうはありません。
人より優っているわけでも、劣っているわけでもない。
摂食障害だったとしても、みんな「普通」の人間。
ごくありふれた、たくさんの人たちの中の1人にすぎません。
そして、摂食障害でない人の中にもいろんな人がいるように、摂食障害の人の中にもいろんな人がいます。
こういった視点を持てているかどうかは、人生を主体的に創造していこうとするときに、そして回復への最後の一押しとしても、とても重要になってくると思います。
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ピアフルメンバーって?
ゆり
「幸せになりたい」気持ちと「悲劇のヒロインでいたい」気持ちが同じくらいある感じがします。
辛くて苦しんでいる自分のほうがしっくりくるというか。
心地よかったり、楽しんいる自分に対して、本当にこれでいいのだろうかと考えてしまいます。
良い思いをしたら、その分苦しまなければいけない、というような罪悪感があるのかもしれません。
2016年2月10日 14:56