自分を大事にしたい
自分のことを好きになれたらいい
心の片隅にあった 本当はやりたかったことをやらせてあげたい
本当は言ってもらいたかった言葉をかけてあげたい
いつも不安ばかりだったから、安心を感じながら
自分のことをこれ以上傷つけずに生きてみたい
誰かに好きになってほしい
誰かに愛されたい
出逢いを楽しんで、たくさん友達をつくりたい
本当はそういう気持ちがいっぱいあるから
もっとそういう機会を自分に与えてあげよう
自分の良さを隠さないで
人生を楽しみたい
きれいな服、もの、そういうことをもっと体験したい
私にもそれを楽しむ価値があるのだから 思い切ってみよう
ずっと憧れていた場所に足をむけてみよう
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誰にも好きになってもらえなくてもいい
誰にも愛されなくたって
誰にも必要とされなくても、もういいから 好きにやろう
やりたいように
いいと信じた方法で
らくにやろう 批判しないで
その時その時、誰の目も気にしないで 思うとおりに道をえらぼう
自分のことを好きになれなくたっていいや 変われなくたって
誰かを許せないままでも 自分を許せなくても
明るい気持ちを持続できなくてもいい
不安をかかえたままでいい
怖さがなくならなくたって問題ない
人生を楽しめなくてもいい
毎日「無駄だ」と思いながら過ごしたっていいよ
おしゃれを頑張れなくても、理想に近づけなくても
他人と比べてばかりでも 期待に応えられなくてもいいんだ、本当は
成果や意味 そういうものがなくたっていい
答えが見つからなくても 何かを成し遂げられなくても
もうどこかに辿り着こうとしなくても
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「~したい」「~しなくてもいい」、どちらの言葉も私の中にあるものです。
ある時は、こんなことをやってみたい、変わりたい!という好奇心を道しるべにして進めることがありました。「こんな荒んだ生活をしている私の中に、まだ前向きな気持ちがちゃんとある!」ということや、素直にそれを認められたことが、とてもうれしく感じられました。
またある時は、進もうとすること、いい気分でいようとすること自体が嫌になり、「何のために頑張ってるんだろう」と毎日の努力に疲れて、むなしく感じることがありました。
もともと「良くあらねば、頑張らねば」という想いがつよくある方なのか、そう思いすぎて一歩を踏み出せなかったり、「この前はうまくいったのに、今日はできなかった・・・。振り出しに戻ってしまった」と
些細なことで落ちこみ、症状をひどくしてしまうことが多かったです。
そんな時は「~しなくてもいいよ」という方の言葉を聞くと、肩の力がふっと抜けるような、らくになったような気がします。
そう感じたということは、「~しなければ」と頭の中でいつも思いつめてばかりいる、ということかもしれません。
もういいんだよ
ああしろ、こうしろ/ああなれ、こうあれ、って言わないで
こうしないとこうなれないよ、とかいちいち私をおどさないで
できる時はできるし、できない時はできない
わかる時はわかるし、わからない時はわからない
答えがほしい時は、自分でちゃんと動けるし
考えたくないときは ただ考えたくない (ほっといてほしい!)
難しくしなくていいんだよ
起こってほしいはちゃんと起こるし
起こってほしくないことは起こらない
その時がきたらきっとわかる
やれる時は、無理しなくてもやれるようになるから
もう自分に対していろいろ言わないで 残りの一日を過ごそう
はるっぺ
書いてあること全てに共感します。
「成果や意味 そういうものがなくたっていい
答えが見つからなくても 何かを成し遂げられなくても
もうどこかに辿り着こうとしなくても」
私もそう思えるようになってから、だんだん楽になりました。
私は、誰かのため、何かのために存在しているのではないし、
世の中の役に立ったり、人から評価されるために生きているのではない。
私には他の全ての人と同じ価値があり、他の全ての人と同等の権利を有する。
それに気付くのに、すごく時間がかかりました。
2015年4月7日 23:48